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は?旦那を褒めるって何?夫を褒めたくない妻が、心を180度入れ替えた話

2018/06/04
 

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■ライター ■肉厚な夫・長女(3歳)・長男(1歳)■積み木とジェンダーにアツい臨床心理士です。

 

「男を立てる」とか「褒め上手な愛され妻」というワードを聞くと、かなりモヤっちゃう系の主婦です。

 

大人たるもの、「女に立ててもらわずに、自分で立てよ」とも思いますし、「愛されるために褒める」というのも全然ピンときません。

 

同じく、「もっと、家事育児を積極的にやってもらうために褒める」っていうのも、なんか納得がいかないんです。

 

でも、世の中には、旦那さんに限らず、「人を上手に褒めることができる人」というのが存在していています。

 

そういう人を見ると、「羨ましい…」「わたしもあんな人になりたい」と思うのも事実。

 

妻は、夫を褒めるべきなの?!褒めたくないんだけど?!褒めた方がいいの?!

 

そんなことをグルグル考えた末、「旦那を褒めたくない病」をついに克服した話について書きます。

 

 

は?旦那を褒める?家事育児は「当たり前」でしょ?

 

心が貧困といえばそれまでなんですが、わたし自身、「夫がちょっと家事育児をやっても、褒めたり、感謝したりしたくない!」という頑固な気持ちになっちゃってるんですよ。

 

なぜなら、夫が多少の家事育児をするのは、「当たり前」だと思っているから。

 

例えば、夫がお風呂に入って、自分の身体を洗ったとき、

 

「自分の身体を洗えるなんてすごいね!」と褒めたり、

「自分の身体を自分で洗ってくれて、ありがとう」と、感謝を伝える妻がどこにいるんだ?

 

自分の身体を自分で洗うように、自分の出したゴミ、自分の汚したトイレ、自分の使った食器、そんなもの、自分で対処するのが当然でしょ?

 

それに、夫が、子供の身の回りの世話をしたり、遊びに付き合うのも当たり前のこと。

 

だって、自分の子でしょ?

 

もしも、夫が、家事育児の7〜8割を担ってくれるなら、感謝の気持ちも湧くかもしれない。

 

でも、現時点で、夫の家事育児の分担比率は1割くらい。

 

私にとっては、夫の分担する1割の家事育児なんて、「自分の身体を自分で洗う」くらい当然のことなんですよ。

 

そもそも、9割の家事育児をわたしがやっても褒められないのに、1割旦那が分担したからって、なぜ褒めなければいけないの?

 

そんなの、くやしいやんかぁぁぁぁ。

[quads id=1]

そんな自分の心の器の小ささがつらくて葛藤

 

いや、でも、ここまで書いてて、なんだかつらくなってきました。

 

上に書いたことは全部本心なんだけど、自分でも「人間としての器ちっちゃ!」って思ったりします。

 

やっぱり、夫にうまく甘えることができたり、思い通りに操縦できる妻というのは一定数いて、そういう人たちを見るたびにプチイラしながらも、「賢い」とか「合理的だ」とか思っちゃう自分もいるわけです。

 

彼女たちに共通するのは、「褒め上手」なこと。

 

普段から周りをよく観ているので、人を喜ばせるのもうまいし、人間関係が円滑。

 

そういうのを見ると、軽く嫉妬しちゃうんですよね。

 

「褒め下手」は、わたし自身が克服すべき課題なのかもしれない

 

「自分のことは、自分でやって当たり前だから」とか「夫の家事分担率が少ないから」とか、「夫を褒めたくない理由」を前半にダラダラと書き連ねてみたけど、それって全部言い訳かもしれません。

 

「褒め下手」を克服できない言い訳。

 

わたしは、夫だけではなく、どんな人に対しても「褒める」ということが苦手だからです。

 

でもなぁ…これから仕事をする上でも、子育てや家庭をうまくまわしていく上でも、「褒めるスキル」って本当に必要だと思うんです。

 

「褒める=おだてる」とは違う

 

わたしは、自分が思ってないことは言えない性格で、お世辞とか社交辞令とか全く言えないタイプなんです。

 

感情が顔に出やすいタイプなので、お世辞を言ったとしても、表情はかなり引きつっていると思います。

 

そんな自分を不便だとは思っていながらも、本当のことしか言えない自分を「まんざらでもない」と思いながら生きてきました。

 

ずっと、心のどこかで「褒めること」=「おだてることだと思っていたから、「わたしは、自分が思ってることしか言えない性格だから、褒め下手でも仕方ない」と諦めてしまっている部分もありました。

 

でも、最近、「褒めること」は「おだてること」とイコールではないし、ましてや「思っていないことを言うことでもない」ということに、ふと気づいたんです。

 

褒める力は、観察する力

 

 

わたしが人を上手に褒めることができないのは、「人を全然見ていない」からなんです。

 

人を見ていないから、褒めるところに気づけない。

 

普段、周りを気にしなさすぎて、人の嗜好や変化や向上に気づくためのアンテナが錆びてきているんですね。

 

 

 

それは夫に対しても同じで、

  • 夫がどのスーツを気に入っているのか
  • 仕事の状況はどうか
  • どんな人と飲みにいっているのか
  • どんな言葉をかけてほしいのか

 

気づくと、最近の夫の様子が、全然わからなくなってしまっていました。

 

家事育児に関しても、「夫が家事育児をやった・やらなかった」とか「わたしと夫の家事分担率がどうか」とか、結果だけは目につきやすいんです。

 

でも、その結果に至るプロセスには全然気づけていなかったんですね。

 

たとえば、「夫が、どんな気持ちでその家事をやってくれたのか」とか。

 

たとえ、1日のうちに夫がやった家事が皿洗いだけだとしても、その根底にある「ちょっとでも、妻を楽にしたい」という気持ちに気付ければ、「わたしとあなたの家事分担の比率」についてどうこう言う前に、感謝の気持ちが自然にわいてくると思うし。

 

自分と夫の負担の比率がどうであろうと、夫のやってくれたことを素直に喜べたり、褒めたりできる人って、結果よりもプロセスを見て、それをきちんと認めることができる人なのかもしれないなぁ。

さいごに

 

「男を立てる」とか「褒め上手な愛され妻」というワードを聞くと、今でもやっぱりモヤっちゃいます。

 

でも、「褒めるスキル」は、子育て、家庭、仕事…あらゆる人間関係において必須のスキルだなぁとも思うのです。

 

褒め上手な人は、日頃からまわりの人のことをきちんと観ていて、その人の琴線に触れる言葉をちゃんと知っています。

 

 

そんな風に褒められると、やっぱりうれしいし、自分を観ていてくれたこの人のためにも、もっと頑張ろうと励みに思えるものです。

 

 

わたしも、もうちょっと夫のことを観て、夫の琴線に触れる言葉というのを考えてみた方がいいのかも。

 

でも、それもこれも全部「気持ちに余裕がないと無理」だから、一度心ゆくまで私の睡眠欲を満たしてほしいんですけどね。

 

今日は、そんなことを考えました。

褒めたほうがいいって言われても、褒め言葉がわからない私には、この本が必要かもしれない。

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