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ママナイフとは?

『助けて!』産後うつから強迫観念・幻聴・激ヤセした私の体験談

 
 
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■ライター
■夫・長女(小4)・次女(小1)・三女(4歳)の5人家族
■3人育てているのに物忘れが酷いため、育児について聞かれても『わかんない』としか答えない役立たず。

 

9年前、一歩間違えれば、わたしは子供を死なせてしまっていたかもしれない。

 

 

 

9年前わたしは、重度の産後うつになりました。

 

夫が私を病院に無理やり連れて行った時には、産後52kgあった体重は、3か月で41kgまで減少。

 

 

笑い方も分からないし、泣き方も分からない。幻聴、貧血、腰痛、抜け毛、記憶障害、不眠症、めまい、手の震え。

 

その時はじめて自分は産後うつなんだと。病気なんだという事に気づきました。

 

乳幼児突然死症候群からくる恐怖

 

わたしは24歳の頃、長女を出産しました。

 

はじめてのお産という事もあり、1か月間里帰りをする予定だったのですが、父方の祖父が亡くなり両親ともに父の実家へ帰郷。

 

1か月健診目前にして、当時住んでいた摂津市のマンションに帰ることになりました。

 

自宅に帰ってからの育児は、自分でも割と順調な方だと思っていました。母乳が出辛かったので混合で育てていましたが、娘もすくすく育っていました。

 

ただ一つだけ、出産してから何をしてても、いつも心の中がザワザワしていたことがあります。

 

 

少し話は逸れてしまいますが、わたしは昔から人一倍、怖がりなところがあるんです。

 

東日本大震災の津波の映像は怖くて見れません。見ると動機や息切れ、手の震えが止まらなくなってしまうのです。

 

 

そんな私が、育児中いつも恐れていたことがあります。それは

 

『乳幼児突然死症候群』です。

 

 

子供が呼吸しているか心配で、気が休まらない

 

子供が寝てる間は、お母さんも一緒に横になって体を休める。

 

 

それは十分に分かっているつもりです。ですが、寝てる間に呼吸が止まってたらどうしよう・・・

 

わたしがちょっと目を離したすきに、何かとんでもないことが起きたらどうしよう・・・

 

そんな事を常に考えていました。

 

最初はアラームをセットして、1時間に一回寝てる娘の口元に耳を当て、呼吸の確認・・・

 

それが30分に1回・・・15分に1回・・・

 

間隔はどんどん短くなっていきました。

 

 

1か月健診で先輩ママにアドバイスされたこと

赤ちゃんとお母さん

はじめてのお産が24歳ということもあり、友人の中ではわたしが出産1番ノリでした。

 

当然のことながら、育児について相談できる友達はいません。唯一相談出来るのが、入院中に仲良くなった2児の先輩ママ。

 

 

今なら分かります。育児の偏った考えにより、苦しんでいるママは沢山います。

 

  • 母乳育児じゃないと言えば『努力が足りない』という人がいます。
  • 帝王切開だと言えば『あれはお産ではない』と心ない事を言う人もいます。
  • スーパーで泣き止まない赤ちゃんを見ては『あんなに泣かして可哀そうに』と、冷たく言い放つ人もいます。

 

わたしは1か月健診で、その先輩ママからこんなことを言われました。

 

母乳で育てないと、赤ちゃんの免疫力が育たなくて病気するよ。

 

乳幼児突然死症候群の可能性もグッと高まるから、母乳一本で頑張らないと!それがお母さんの仕事だよ!

 

 

 

この一言でわたしは、母乳が十分に出ない自分が情けなくて、悲しくて、病気や乳幼児突然死症候群のリスクに更におびえるようになりました。

 

 

母乳育児に力を入れ始める

 

 

  • 助産師さんが行ってくれる、おっぱいマッサージ。
  • 母乳に良いとされる漢方や食べ物、野菜たっぷりのスープ。

 

母乳に良いとされることは、一通り試したのではないでしょうか?

 

 

ですが母乳の出は、良いとは言えませんでした。

 

 

加えてわたしは、昔から体調を崩したり疲れが出ると、真っ先に食欲がなくなるタイプです。

 

母乳育児中は、娘もお腹が満たされないからでしょう。

 

娘:すぐに起きるし、泣き止まない

私:疲れて食欲減退、母乳も出ない

娘:母乳が十分に飲めないので、更に寝ない。泣き止まない

私:更に疲れて食欲減退。更に母乳が出なくなる

育児疲れ

 

これを繰り返していました。

 

夫は、『別に混合でもええんちゃうん?』と言ってたんですよね。

 

今なら、わたしも迷わず『無理!混合かミルクだけに切り替える!』という判断が出来ます。

 

 

しかし、当時のわたしときたら・・・『育児の事、分からないくせに簡単に言わないで。母乳には免疫が・・・』そんな風に心で思うばかり。

 

 

夫は仕事から帰ってくると、娘が寝るまで抱っこをしてくれたり、休日前は夜一緒に起きてくれましたが、そんな夫に対していつも思っていたことは

 

『夜起きてきたって、どうせ母乳あげるの私やん』

 

『帰ってから抱っこは代わってくれるけど、私はその間洗い物したりしないといけないし、結局休憩は出来ないよね』

 

今なら言えます。

『しんどい。辛い。今こんなことに困ってる!無理!助けて!』

って。

 

だけど当時は新婚でしたし、育児くらい母親が出来ないでどうする!なんて思ってました。

 

 

自分自身が追い詰められていることにも、気づいていませんでした。

 

 

日中涙が止まらなくなる

 

この頃は産後2か月程、たっていたでしょうか??

 

 

あいかわらず母乳はなかなか出なかったですが、それでも育っていく娘を見て安心していました。

 

日中はひとりで育児をして、夜はアラームを10分おきに鳴らして呼吸確認。

 

 

食欲はありませんし、慢性的な睡眠不足。自分はいつ寝てるのか?今日は何を食べたのか?何で娘は泣いているのか?ボーっと考えることが多くなりました。

 

気づけば涙が出て、止まらないこともありました。

 

泣き止まない娘を抱っこして、部屋中を歩き回りながらあやしていました。

 

『辛いな。しんどいな。寝たいな』

 

いつもそんな事を考えていました。

 

 

誰かに助けてって言いたい。だけど、負けず嫌いなわたしは、負けを認めるような気がして言えませんでした。

 

自分が育児ノイローゼか、その類の何かだと薄々は気づいていたものの

 

『自分自身でそう考えれるんだから、わたしはしっかりしている』

 

とさえ思っていました。

 

 

幻聴が聞こえるようになる

大泣きする赤ちゃん

産後3か月が過ぎようとしていました。

 

母乳は安定するようになり、娘も夜まとめて寝てくれるようになりました。

 

 

なのに私は相変わらず、娘が呼吸しているか心配・・・

そしてこの頃になると私は、幻聴を聞くようになっていました。

 

 

娘は寝ているのに、娘の泣き声が聞こえる。

自分が寝てる時も、常に娘の泣き声が聞こえているような気がして、熟睡できない。

 

 

そんな時、義実家より「お食い初めしようか!」とお声掛けいただき、両家集まってお食い初めをすることになりました。

 

ちなみに、わたしの両親は祖父の葬儀などでバタバタしていたこともあり、お食い初めの時が久しぶりの対面。

 

また義実家では義理のお姉さんが出産したばかりで(娘と10日違い)、お食い初めの日まで、なかなかお会いすることが出来なかったのです。

 

分かりますか?腕なんてガリガリですよね。

 

写真が少しぼやけているので分かりにくいかと思いますが、目がうつろで目の下のクマも酷いんです。

 

この写真を撮った日から確か8日後、病院へ連れていかれ、産後うつと診断。体重は41kgになっていました。

 

 

夫は何度もわたしに『うつ』ではないかと言っていた

 

何で一緒に暮らしてる夫は気づかないんだ!?

 

そう思いますよね。実は生後2か月の時点で、夫はわたしに『育児が辛いんじゃないのか?母乳をやめた方がいいんじゃないのか?一緒に病院へ行こう!』

 

と言っていたんですよね。

 

 

ですが、わたしは病院に行けば薬を飲まないといけない。薬を飲んだら母乳は諦めなきゃいけない。母乳じゃないと、娘は免疫がつかない。乳幼児突然死症候群のリスクも高まる!

 

そのことしか頭になく、病院へ行くことはありませんでした。

 

 

最後まで病院には絶対行かない。と言い張っていましたが、最終的には実家の両親と夫に、無理やり病院へ連れていかれました。

 

 

もうその頃には、涙も出ないし表情も変えられない。

 

幻聴、貧血、腰痛、抜け毛、記憶障害、不眠症、めまい、手の震えなど、様々な身体的症状が現れていました。

 

 

重度の産後うつと診断

カウンセリング

体重が41kgまで急激に減ってしまい、加えてわたしは元々持病を持っているのですが、それも悪化。

 

貧血が酷く、娘を抱っこするのは危険という判断から、入院を強く勧められました。

 

  • 真面目で人のいう事を、真に受けやすい性格
  • 自分で何とか持ちこたえようとしてしまう、必要以上の我慢強さ
  • 周囲を気遣うあまり、自分の気持ちを殺してしまう
  • 根っからの怖がり

 

これらの性格から、通常聞き流したり自分の中でかみ砕けるような、母乳育児や乳幼児突然死症候群などを、強迫観念のように思いつめてしまったのではないか?

 

と、精神科ソーシャルワーカーさんとの会話の中から、気づくことが出来ました。

 

 

わたし一人では、育児できないと気付き始めた

 

入院を勧められましたが、わたしが酷く拒否をしたらしく一旦自宅へ帰りました(ここら辺の記憶が、実は全くありません)

 

 

その後夫は仕事を辞めて、実家近くの職場に転職。

 

摂津市から実家のある茨木市へ。実家の隣のマンションへ引っ越しすることになりました。

 

病院へ行ってから、僅か一週間ほどのことです。

 

 

日中は産後ヘルパーさんに来てもらい、夕方からは実家の母が来る。その後、夫が帰って来てくれる。

 

 

そして、ベビーセンサーをレンタルしたことがキッカケで、夜も心配なく寝られるようになりました。

 

ベビーセンサーとは、娘に異常があれば知らせてくれる、乳幼児突然死亡症候群に備える機械です。

 

 

万が一に備えて、まだ娘の抱っこはさせてもらえませんでした(体力がないのと重度の貧血、激しい気分の落ち込みから、周りが許してくれませんでした)

 

ですが日中娘の手を握ってみたり、寝てる娘の顔を眺めているうちに、本当に少しずつですが笑えるようになってきました。

 

 

抗うつ剤を飲みながら病院に通っていましたが、カウンセリング中、一時は出なくなっていた涙が、出るようになっていました。

 

 

わたしは一人じゃ何もできない

 

 

わたしの姉は、常に両親を困らすような人でした。

 

子供が生まれてからは両親に子供を預けっぱなしで遊び歩き、しまいには世話を両親に押し付け、そのまま消えてしまいました。

 

だから私は、絶対に両親を困らせてはいけない。

 

小さいころからそう思って生きてきました。

 

 

夫は家族の為に仕事をしてるんだから、必要以上、育児に巻き込んではいけない。

 

そんな風にも思っていました。

 

 

だけど、そう思っていたのは私だけでした。

 

 

現在

今、わたしには3人の娘がいます。長女は小学4年生になりました^^

 

産後うつが回復したころ、夫にはこんなことを言われました。

 

『母親が笑っていれば、家族は、子供は幸せなんだよ』

 

 

あれから9年たちましたが、私は毎日、夫や子供たちと笑って過ごせています。

 

思い出すのも嫌な出来事だったので、今までしっかり人に話したことはありません。

 

『3人育児!楽勝楽勝♪』とか、ほらを吹いていました(笑)

 

 

もしも、あのまま育児を続けていたら・・・

 

わたしは娘を死なせてしまっていたかも知れません。

 

心も体もボロボロになっていたかも知れません。

 

最後に

 

育児って大変ですよね。テレビやCMで流れてくるキラキラしたことなんて、生活のほんの一部分です。

 

泣き止まない。おっぱいを飲んでくれない。わたしは一日、パジャマのままで一体何をしてたんだろう?

 

そんな風に思っては、情けなくなったり、育児を投げ出したくなっていました。だけど今から思い返すと、わたしは、

 

 

泣き止まない娘を泣き止まそうと頑張っていました

おっぱいが出ない時、出るように努力をしていました。

パジャマのままだったけど、娘を危険にさらすこともなく、守ってきました。

 

 

家族や夫、周囲には迷惑をいっぱいかけましたが、私はそれでも娘を一生懸命育ててきたんだと、今なら言えます^^

 

 

※産後うつの治療法や原因など詳しいことは、わたしは専門家ではないので分かりませんし、安易に書くことは出来ません。

 

 

ただこの記事が、今『しんどい。辛い。助けて欲しい』そう思っている人に届けば嬉しいなと思います^^

 

おっしまーい!

 

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